「たちあがれ日本」~「太陽の党」~「日本維新の会」へ合流!今後の日本を担うのはどの人物でしょうか?

たちあがれ日本党と人物

日本の政党『たちあがれ日本』や、『たちあがれ日本』に関わった人物ついて色々とまとめてみました。

たちあがれ日本の応援団(1)

『たちあがれ日本』の応援団(1)

『たちあがれ日本』には組織的な応援団はないものの、石原慎太郎が“応援団長”を名乗っていて、これは党も公認しています。主に平沼と志を同じくする下記の真正保守の活動家による応援メッセージが党のホームページに記載されています。

金美齢

金美齢は、長年台湾独立運動に関わってきました。台湾出身で日本国籍の評論家です。学校法人柴永国際学園JET日本語学校理事長、元台湾総統府国策顧問。夫は周英明。日本滞在中の1962年(昭和37年)、台湾独立運動を推進していた台湾青年社(後の台湾独立建国連盟)に参加。早大在学中には、台湾独立建国連盟が発行する英語版の機関紙の編集長を務め、他の台湾人留学生らと大学同窓会「台湾稲門会」を結成。そのため、金と夫の周は反政府活動家として政府のブラックリスト(黒名単)に掲載され、旅券は剥奪。日本で事実上の亡命生活を余儀なくされました。

プロフィール
  • 日本統治下台湾の台北の裕福な家庭に生まれる。
  • 1953年(昭和28年)に台北市内の台北市立第一女子高級中学を卒業後、結婚、そして国際学舎(留学生会館)勤務
  • 1956年、22歳の時に最初の結婚に終止符をうち離婚。
  • 1959年(昭和34年)25歳の時に早稲田大学第一文学部英文学科に留学。
  • 1963年(昭和38年)に同大修士課程に進学。
  • 1964年(昭和39年)、東京大学大学院博士課程在学中の周英明と学生結婚し、二児をもうける。
  • 1971年(昭和46年)、早稲田大学大学院文学研究科博士課程単位取得退学。早稲田大学の大学院生時代から、首都圏の大学で非常勤講師を歴任。早稲田大学では、1996年(平成8年)3月まで20年以上、英語非常勤講師を務めた。
  • 1975年(昭和50年)から1976年(昭和51年)まで、イギリス・ケンブリッジ大学客員研究員として渡英。
略歴
  • 1987年(昭和62年)7月15日、台湾で1949年(昭和24年)5月20日以来38年間続いた戒厳が解除。翌年、李登輝が台湾人初の中華民国総統に就任。急速な台湾民主化の流れの中でブラックリストも解除となり、金は31年ぶりに帰国。
  • 1988年(昭和63年)、学校法人柴永国際学園(3月)、JET日本語学校(4月)を設立。1996年(平成8年)に初めての1996年(平成8年)総統直接選挙では、台湾独立派の人々が独立派の民主進歩党候補彭明敏を支持する中、金は李登輝を支持した。
  • 2000年(平成12年)に発足した民進党の陳水扁政権では、日本に亡命していた黄昭堂ら、ブラックリスト組の200余名らとともに、中華民国総統府国策顧問の一員に迎えられた。
  • 2001年(平成13年)2月に小林よしのりの『台湾論』出版とともに、台湾立法院(台湾の国会に相当)が小林の台湾入国禁止を決定。台湾のテレビ討論番組に出演し、「私は中華民国を認めない」と発言。これに対し他の出席者から、「中華民国の国策顧問が中華民国を認めないというのならば、即刻辞任しろ」と迫られると、「私は陳水扁総統の国策顧問であって、中華民国の国策顧問ではありません。私を辞任させられるのは陳総統だけです」と応酬した。その後、陳総統が「台湾は民主主義国家であり、多様な意見を持つ国策顧問が存在するのは民主台湾の縮図である」と声明を出し、まもなく入国禁止措置は解除。その後も台湾、日本双方において、メディアや著作を通して台湾独立の主張を続けている。
  • 2005年(平成17年)2月28日に総統府国策顧問を辞任、同年5月20日に復帰したが、2006年(平成18年)6月2日に総統府が機構改革のため国策顧問ポストを置かないことになり再辞任。2008年(平成20年)3月20日総統選挙では民進党候補の謝長廷を支持した。
  • 2009年(平成21年)9月、日本へ帰化。2010年(平成22年)10月、美齢塾を開講(約3年間の期間限定活動)。
  • 2012年(平成24年)1月、金美齢事務所で烏龍茶販売を開始。

誰が日本のリーダーになるのか?!

中西輝政

中西輝政は、日本の歴史学者、国際政治学者。NPO法人まほろば教育事業団会長。京都大学名誉教授。大阪観光大学特任教授。専門は国際政治史、文明史。保守系の論壇や政治活動でも知られています。

中西輝政と新しい教科書をつくる会

2002年(平成14年)から2006年(平成18年)まで新しい教科書をつくる会理事を務め、2006年(平成18年)6月、日本教育再生機構に発起人として参加。2007年(平成19年)、内閣官房「美しい国づくり」プロジェクト・企画会議委員。他に靖国神社崇敬奉賛会青年部あさなぎの顧問を務めました。京都大学での恩師は高坂正堯(学部は民法の林良平)、ケンブリッジ大学での恩師はサー・フランク・H・ヒンズリー。この二人に対する思いは『高坂正尭著作集』第6巻(古典外交の成熟と崩壊)解題「ヨーロッパへの愛あるいは歴史への愛」に描かれていますが、中西自身はヒンズリーとの出会いが自らの歴史家としての人生を決定付けたと回顧しています。この2人と並び、特に江藤淳から大きな影響を受けたと随筆の中で語っています。

中西輝政の現在の研究テーマ

現在の研究テーマは、下記のとおり

(1)国際社会の政治構造のあり方を歴史的・理論的に考察し、国際政治の政策的課題、その背景をなす歴史的な構造について分析を加え、冷戦後の世界秩序やアジアの国際関係の構図を深く考究する。

(2)国際政治構造分析に際しては、世界史上の主要な文明の生成・発展・衰亡のプロセスを巡り、それぞれにおける政治共同体の主要な特質と他の文明要因(ファクター)との関連、および他の政治共同体との相互関係における文明的契機(文化・宗教・社会規範)の及ぼす影響について検討することにも重点を置く。

(3)「このような諸課題を達成するための研究指導を行う」

学歴

  • 1947年(昭和22年):大阪府生まれ。
  • 1965年(昭和40年):大阪府立北野高等学校卒業。
  • 1971年(昭和46年):京都大学法学部卒業。
  • 1974年(昭和49年):同大学院法学研究科修士課程修了。
  • 1977年(昭和52年):ケンブリッジ大学セント・ジョンズ・カレッジ歴史学部大学院において、国際政治史、特にヨーロッパ協調時代のイギリスの対仏外交政策の歴史を学び、歴史学修士号(M.Phil)取得。
  • 1978年(昭和53年):同大学院法学研究科博士後期課程中退。

立ち上がれ日本は今も進化しています!

研究歴

  • 1978年(昭和53年):京都大学法学部助手。
  • 1984年(昭和59年):同大学退職、三重大学人文学部助教授。
  • 1986年(昭和61年):米国スタンフォード大学客員研究員(兼任)。
  • 1989年(平成元年):三重大学退職、静岡県立大学国際関係学部教授。
  • 1995年(平成7年):同大学退職、京都大学大学院人間・環境学研究科教授。
  • 2012年(平成24年)3月:同大学定年退職、4月京都大学名誉教授。

受賞歴

  • 1989年(平成元年):佐伯賞を受賞。
  • 1990年(平成2年):「日米同盟の新しい可能性」(『アステイオン』1989年秋号)で石橋湛山賞を受賞。
  • 1997年(平成9年):『大英帝国衰亡史』で山本七平賞と毎日出版文化賞を受賞。
  • 2003年(平成15年):全ての言論活動で第18回正論大賞を受賞。
  • 2005年(平成17年):文藝春秋読者賞を受賞。

岡崎久彦

岡崎 久彦は、日本の外交評論家・政治評論家。防衛法学会顧問。NPO法人「岡崎研究所」代表。元外交官。

学歴
  • 1930年:関東州・大連生まれ。
  • 1949年:府立高等学校卒業、東京大学法学部入学。
  • 1952年:外務公務員I種試験合格により4年次で中退、外務省入省。
  • 1953年:ケンブリッジ大学経済学部入学(外務省語学研修)。
  • 1954年:同卒業。
  • 1955年:同大学院経済学研究科修士課程修了。
職歴
  • 1951年:外交官試験合格。
  • 1952年:外務省入省。
  • 1955年:在フィリピン大使館三等書記官(その後、国際連合局経済課、在フランス大使館一等書記官、外務省 調査企画部調査課長、在米国大使館参事官、在大韓民国日本国大使館公使を歴任)。
  • 1978年:防衛庁参事官(国際関係担当)。
  • 1981年:在米国大使館公使。
  • 1982年:外務省調査企画部長
  • 1984年:同情報調査局長(初代)、駐サウジアラビア日本国特命全権大使。
  • 1988年:駐タイ日本国特命大使
  • 1992年:外務省退官、博報堂特別顧問
  • 2002年:NPO法人「岡崎研究所」創設
  • 2007年:安倍晋三首相の日本の集団的自衛権保持の可能性について考える私的諮問機関「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」有識者委員。