「たちあがれ日本」~「太陽の党」~「日本維新の会」へ合流!今後の日本を担うのはどの人物でしょうか?

たちあがれ日本党と人物

日本の政党『たちあがれ日本』や、『たちあがれ日本』に関わった人物ついて色々とまとめてみました。

たちあがれ日本と野口健

野口健

野口健は、アメリカ合衆国マサチューセッツ州ボストン市出身の日本人登山家。了徳寺大学客員教授。亜細亜大学国際関係学部卒業。チベットへの人権侵害、環境対策など、中華人民共和国に対して批判的な意見を自身の公式ブログに載せています。

誰が日本のリーダーになるのか?!

野口健の活動

  • 2008年からNPO法人「空援隊(くうえんたい)」に参加し、主にフィリピンにおける旧日本軍戦没者の遺骨調査・収集活動を開始する。
  • 2003年、7月に日本人女性と入籍。2004年2月に第1子(長女)誕生。
  • 2005年にヒマラヤで遭難した際、死を覚悟して遺書を書き、「自分の遺体を故郷に帰してくれないだろうか」と考えた時、橋本龍太郎から聞いた戦没者についての話を思い出したことがきっかけだったと述べている。
  • 2007年、東京ヴェルディの環境アドバイザーに就任。ヴェルディの2007年開幕戦であるザスパ草津戦(国立競技場)では、でキックインセレモニーを行った。試合後は国立競技場周辺を、両チームのサポーターとゴミ拾いをおこない、環境意識への取り組みを示す。
  • 2007年、作家坂口安吾の生誕の地、新潟市が主催する「第2回安吾賞」に選ばれる。また植村直己冒険賞も受賞。
  • 2007年4月、都知事選で石原慎太郎のポスターに「石原さんを応援します」として登場するなど積極支援。2007年11月30日付けで了徳寺大学客員教授(教養教育センター)に就任。

野口健の略歴

  • 父親が日本人(元外交官の野口雅昭)で母親がエジプト人のハーフ。幼少期を海外で過ごします。カイロ日本人学校の小学部から、イギリスの立教英国学院小学部に6年時に転校。同学院の高等学校在学中、本人の言葉によれば「落ちこぼれ」の不良生徒であり、学校の先輩と喧嘩をして一ヶ月の停学処分を受けたそうです。停学中の一人旅で植村直己の著書と出会い登山を始めました。卒業後、亜細亜大学へ一芸入試で合格。これもあり、現在でも植村を強く慕っています。亜細亜大学在学中は、学長の衞藤瀋吉から精神面・資金面ともに多大な支援を受けたといいます。
  • 2004年、自民党から参議院議員選挙比例区への出馬を打診され、本人も承諾していましたが、タレント議員批判に対して「自分はタレント候補ではない」と反発し不出馬を表明。同様に2007年7月の参議院議員選挙出馬の噂もありましたが、本人は自分のブログで「それはありません。私は現場の人間ですから。」と不出馬を表明。自民党からの出馬を目指す理由として「一見環境保護には縁遠そうな自民党から議員になることにこそ意味がある」と雑誌で語っていました。親交の深い橋本龍太郎の選挙応援や、橋本の元秘書など側近たちの選挙応援もしています。

立ち上がれ日本は今も進化しています!

野口健の記録

亜細亜大学入学後から、世界の名立たる山々へ挑戦を挑み、各地で最年少登頂記録を樹立する。大学と並行して登山を続け、卒業前の1999年、25歳の時に世界最高峰エベレスト(ネパール名サガルマータ)にネパール側から登頂し3度目の挑戦で登頂。当時の七大陸最高峰の世界最年少登頂記録を更新。大学には8年間在籍した。

南極最高峰ビンソン・マシフ挑戦を前に、かつて植村直己のドキュメンタリーを多数製作していた大阪の毎日放送の取材が始まり、以後、野口のドキュメンタリー番組が立て続けに放送される。それらの番組において、危険な仕事を強いられるネパールの山岳民族シェルパ族の命が先進国の登山隊によって軽んじられている実態を告発している。

清掃登山の開始

1997年に初めてエベレスト(チベット名チョモランマ)にチベット側から挑戦した際、標高6500m地点で積極的にごみ拾いを行うヨーロッパ登山隊のそばで、日本隊が捨てたごみをテレビスタッフと共に見つけ衝撃を受けたそうです。その映像は「汚された最高峰」として、毎日放送の同行記者榛葉健が「筑紫哲也ニュース23」やJNNなどの報道番組で問題提起を行いました。これはチョモランマ(エベレスト)に多くの登山家がごみを放置している実態をテレビで告発した世界初の報道となろました。ごみ回収の活動について、日本隊の投棄していたごみが一番多かったという発言をしています。野口はこの経験を皮切りに環境問題への意識を強く持つようになり、その後もエベレスト、マナスル、富士山などの清掃登山を精力的に行うようになりました。また同時期に、シェルパの遺族を救うシェルパ基金を設立しました。現在は、日本の国立公園や各地の山、講演会、自然教室などで「富士山から日本を変える」をスローガンに、環境問題の普及を提唱しています。また、野口の活動を全面支援するNPO富士山クラブ理事。東京都レンジャー、富士山レンジャーの提案者であり、現在は名誉隊長を務めています。

主な登山歴

  • 1990年 8月(16歳):モンブラン登頂(ヨーロッパ大陸)
  • 1990年12月(17歳):キリマンジャロ登頂(アフリカ大陸)
  • 1992年 9月(19歳):コジアスコ登頂(オーストラリア大陸)
  • 1992年12月(19歳):アコンカグア登頂(南米大陸)
  • 1993年 6月(19歳):マッキンリー登頂(北米大陸)
  • 1994年12月(21歳):ヴィンソン・マシフ登頂(南極大陸)
  • 1996年 1月(22歳):エルブルス登頂(ヨーロッパ大陸、ロシア)
  • 1996年10月(23歳):チョ・オユー登頂
  • 1999年 5月(25歳):エベレスト登頂(アジア大陸)ネパール側 - 七大陸最高峰登頂の世界最年少記録樹立(当時)
  • 2007年 5月(33歳):エベレスト登頂(アジア大陸)チベット側 - ネパール、チベットの両方からの登頂成功者は日本人8人目。