「たちあがれ日本」~「太陽の党」~「日本維新の会」へ合流!今後の日本を担うのはどの人物でしょうか?

たちあがれ日本党と人物

日本の政党『たちあがれ日本』や、『たちあがれ日本』に関わった人物ついて色々とまとめてみました。

たちあがれ日本と選挙

『たちあがれ日本』と選挙

『たちあがれ日本』は、2010年7月11日投開票の第22回参議院議員通常選挙の結果、次期衆院選に備え、8月24日に中山成彬を宮崎県第1区支部長、西村眞悟を大阪府第17区支部長に任命しました。また、同年10月には前回の衆院選で平沼グループから出馬した三宅博を大阪府第14区支部長に任命しました。参議院では代表質問を行えるようになりました。この選挙で『たちあがれ日本』が獲得した比例区での票数は123万2207票であり、これは国民新党や新党改革を上回る結果でした。

誰が日本のリーダーになるのか?!

経緯

経緯としては、秋田、山梨、岐阜、岡山、熊本の5選挙区で自民党候補を、千葉、大阪の両選挙区で日本創新党候補をそれぞれ推薦しました。そして結党メンバーで現職の中川義雄、前自民党参院議員で元総務大臣の片山虎之助、前衆議院議員の中山成彬、杉村太蔵、野球評論家の中畑清などを比例区で擁立しました。また、選挙区では青森、茨城、東京、神奈川の4選挙区で新人公認候補を擁立しました。片山は、2007年の参院選で落選後、自民党から比例区で出馬する意向を示していましたが、同党は比例候補に定年制を設けて公認しないことを発表していたため、自民党以外の党からの出馬を模索していました。6月18日には立候補することになった夫・中山成彬を応援するため、中山恭子が自民党を離党、『たちあがれ日本』に入党しました。『たちあがれ日本』は、選挙期間中には比例代表公認候補の足高慶宣が、党の制止を振り切り尖閣諸島への上陸を試みようとしたとして、選挙期間中にもかかわらず比例名簿から削除されるという事態もありました。

立ち上がれ日本は今も進化しています!

『たちあがれ日本』の動き

  • 2010年12月に菅直人らから連立政権参加の打診を受けましたが、党内でそれに賛成したのは共同代表である与謝野馨だけでした。党内で孤立した与謝野は、2011年1月13日に離党届を提出、受理されました。菅直人改造内閣への入閣の可能性が報道され、無所属として菅第2次改造内閣にて経済財政・少子化・社会保障・税一体改革担当大臣として入閣しました。この与謝野の判断に対して園田博之は、民主党政権打倒を掲げて「たちあがれ日本」をつくったときの立党精神を置き忘れてしまったのではないかと批判しました。
  • 2012年1月25日、石原慎太郎東京都知事、国民新党の亀井静香、『たちあがれ日本』の平沼赳夫で3月中にも新党を結成するとの報道が流れました。当初、平沼は「亀井さんの一人芝居」と否定していましたが、石原新党結成を目指した発言をしていくようになりました。平沼は1月25日の記者会見で保守結集を目指し、「自民、民主の一部に働きかけ、70~80人を糾合することを目標にしたい」と語り自民党の反発を受けました。自民党の谷垣禎一は27日夜、「自民党からも引っ張ってこようというような失礼な話にコメントする必要もない」と不快感を示しました。その後、31日に石原伸晃も「人の財布に手突っ込むな」と反発しました。
  • 3月7日、平沼は記者会見で「都知事は、予算などで都議会が開かれているので、3月までに新党をつくるのは現実、考えられない問題だ」として当初目指していた3月結成を断念。「謀は密なるものを旨とすることだ。作業は深く静かに潜行してやっていかなければならない」とも述べて引き続き新党結成を目指す姿勢を鮮明にしました。
  • 4月12日、石原は訪米前に成田空港で記者団の取材に応じ、新党構想について「一回ないことにする。白紙に戻す。やる必要があるならばおれ一人でも台本づくりをやる」と新党構想を練り直しを表明しました。その後、訪米先で都による尖閣諸島購入を表明しました。たちあがれ日本もこれを支援するため、尖閣諸島購入の寄付金募集の口座を作りました。国民新党を離党した亀井静香は新党について「5月末にはできる」と言い、また6月のたちあがれ日本の政治資金パーティで新党のお披露目があるのではないかと期待されました。
  • 7月4日、『たちあがれ日本』は石原新党を視野にいれた「政策宣言」を発表した。自主憲法制定を最初に掲げ、尖閣諸島への自衛隊配備や財政への複式簿記の導入など、石原氏が進める政策を後押しする内容も盛り込む。政策宣言のキャッチフレーズは「日本力倍増!」。またこれに伴う会見で平沼は亀井との同一行動を否定し、石原も同様の対応を取るだろうと推測しました。
  • 7月24日、平沼は都内で講演し「今月ないし来月早々には石原氏が正式に態度を表明し、新しい流れが出てくるのではないか」との見通しを語るも8月3日の記者会見で石原は「こちらは新党よりも尖閣のほうで手一杯なんだ」と述べ、月内結成を断念する考えを明らかにしました。また平沼の発言に対し「彼とそういう話をしたことがありました。新党の問題について周りの人が言うのもありがた迷惑だ」と不快感を示しました。
  • 8月、国により尖閣諸島が購入され、尖閣購入に一定の決着がつきました。20日、平沼は横浜市中区内で講演し、「38年間付き合ってきた仲だ。必ずできる」と明言しました。
  • 10月12日、石原は記者会見で「中央官僚の国家支配をぶち壊さなきゃいけない。私は身を捨てて何でもやるつもりだ」と意欲を見せ、併せて「後は私の年齢(80歳)と健康だ」と近く健康診断の結果で最終判断する考えを示しました。さらに翌日の13日には、新党「日本維新の会」を結成した橋下代表と石原と平沼が極秘会談しました。
  • 10月25日、石原は午後3時から緊急記者会見を開き、東京都知事の辞任と新党結成の意向を示し、自身は東京ブロックでの比例出馬を表明しました。50分の記者会見の後、『たちあがれ日本』の本部で全議員と対応を協議。30日の拡大支部長会議で『たちあがれ日本』を解党し、石原新党へ合流することを確認しました。たちあがれ日本の国会議員5人が合流することで国政政党要件を満たすことが確実になった瞬間です。しかし、10月30日の全国拡大支部長会議では「たちあがれ日本を解党して石原新党へ合流する」方針を撤回し「たちあがれ日本を改名して石原新党とする」方針を決定しました。これは、『たちあがれ日本』を解党した場合、たちあがれ日本に対する政党交付金(12月分のみで約4300万円)を受け取れなくなるという事情があったようです。
  • 11月13日、「たちあがれ日本」を衣替え(党名変更)する形式を取って、新党「太陽の党」の結成を総務省に提出。石原慎太郎と平沼赳夫が共同代表を務め、「たちあがれ日本」所属の現職国会議員5名に石原が参加する形を採って結党しました。衣替えした新党には民主党を離党した中津川博郷らも合流する意向を示しました。結成にあたって石原は旧知の亀井静香に協力を持ちかけましたが、政策理念が異なる橋下徹との連携を図ろうとする姿勢を批判されて新党参加を拒否されています。
  • 11月15日、減税日本が合流すると発表されました。しかし翌16日、太陽の党側が日本維新の会と合流することとなったため、一旦棚上げし再協議するものとされました。河村は名古屋市内で記者団に合流撤回を否定せず、今期衆院選において連携を取るものとされています。その後、21日に減税日本は日本維新の会合流を断念しました。22日に亀井と民主党を離党した山田正彦率いる反TPP・脱原発・消費増税凍結を実現する党と合流し、減税日本・反TPP・脱原発を実現する党の結成に合意し、28日に滋賀県知事嘉田由紀子と飯田哲也が結党した日本未来の党に「国民の生活が第一」らとともに合流しました。
  • 11月16日、石原と日本維新の会代表の橋下徹が東京都内でトップ会談を行い、その場で、太陽の党が日本維新の会へと合流することに合意し、翌17日に正式発表されました。小選挙区での候補は日本維新の会としての統一候補を擁立することになります。これにより太陽の党は結党からわずか4日で消滅することとなります。背景には維新の会の資金難及びそれに伴う出馬議員不足があるとも言われています。なお、合流後の日本維新の会代表には石原が、代表代行には橋下が、国会議員団代表には平沼赳夫が就任しました。
  • 11月19日付(同26日届出)で政治資金規正法の上では代表者が石原から別の人物に交代し、第46回衆議院議員総選挙後も形式上は存続した[8]。政党助成法の上では11月21日付けで政党要件を満たさなくなり、12月3日に解散等届を提出し、総務省より12月7日に特定交付金の交付が決定されました。
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